「歌うことに責任を持ち過ぎない」
音楽は音に出した瞬間瞬間、過去になってゆく性を持っています。
新日本フィルのコンサートマスター崔文洙さんがXにこんな投稿を載せた。
「なぜ、演奏はつまらなくなるのか。
技術が上がったからでも、才能が減ったからでもありません。
↓
失敗しないことが最優先になるから。
↓
審査員、評論家、SNS、空気。
「どう思われるか」を気にした瞬間、
音楽は一気に凡庸になる。」
失敗しないことが最優先になる。
コレ、すごくわかる。中学生の頃、
スキー教室に行って、
「一度も転ばない」を目標にした子は上達せず、
転んでも良いから重心の移動や膝のバネ使いなどをいろいろ試していたやつは上達した。
音楽でもコンクールにたくさん出るとか、ノーギャラのコンサートに出るとかそうしたこ
とは、
良い悪いは別として「失敗」することの良い練習機会なのだ。
かく言う私もその音楽人生は9割が失敗でできていると言っても過言ではないだろう。
尊敬する同じ国立音楽大学の声楽を出た先輩方こうしたコンサートの現象を「多少の怪我
」とか「すり傷程度」と笑って済ませるで、私もならってそう言うことにしている。明る
い校風が多くの声楽家を育ててきたと言える。
日本人は海外の国々の人々と比べてネガティブな生き方を常にしている。
つまり、自己批判的傾向が強いのだ。ひとつのたとえとして、
常に反省を口にする。
合唱団に置き換えてみたらどうだう?
声をひとつ出すにしても、心の中で自分との問答を繰り広げている。
どうすれば良い声が出るか、どうすればうまく歌えるかを考えるあまり、
声が前に出なくなっている。
声が籠っているのである。
頭蓋骨の内側で響いている(自分の思うところの良い声)は実は偽物で、
録音した時に聞く、あの自分にとっては変な声が本当の声。
ひとつの方向としては録音した声と、今、出している、響いている声が同じ響きになると
ころを探すのです。あなたが今気に入っているその声は偽物かもしれない。
内なる自分と対話せず、
外なる自分と対話するのです。
本当の声は喋っている声そのままで良い。
簡単なこと。
楽しい会話をしている時の自分の声の響き、
その響きの位置を確認して、
そのまま音符に載せて歌ってみる。
そこがスタートです。
さらに崔文洙さんはこんなことも書いています。
「日本のオーケストラがつまらなくなりやすい理由は、
・決定権が曖昧
・失敗の検証がない
・でも「従順さ」だけは評価される
つまり、何も生まれない設計になっている。」
↓
「音楽が面白くなる条件は単純で、
「自由に弾いていい」ではなく、
「自由に弾いた結果に、誰かが責任を取る」こと。
日本ではこの”責任”がいつも霧散する。」
これらのことを指揮者である私が責任を持つし、
失敗の検証も常にしながら練習しているのは皆さんも見ている通りなので、
大いに考えず、自分の声で勝負して、大いに歌っておくれ!という話でした。
さあ!自分の声を探しに旅に出ましょう!
