声は伝えるもの。訴えるもの。
「訴える」という漢字はお堅い感じに聞こえますが、「訴える」の音(発音)の感じは「歌う」につながるのだと言われています。嘘かホントか、「訴える」は、日本語の古い動詞で、「訴(うった)う」という形が原型らしいです。かのタモリさんも彼のCDアルバムの中で、音楽の始まりについて語り、
原始の人々が、
「こっちにマンモスがいるぞー」
「わかったぞー応援に行くぞー」
と伝え合う中で、
より大きな声で伝えるための発声、そして音程、ついでメロディが現れたのであるとタモリさんは冗談半分に仰っています。
日々、日本中をブラついてるタモリさんですから、その知識の豊富さから間違いないとずっと信じているわたくしです。
空耳アワーだって音楽の奥深さを学ぶ教養に違いないのです。あの歌詞、あのメロディ、確かに聴こえる、そうやって常に新たなる真実や発見があるのです。
「歌う」の語源にはもうひとつ「打つ」から来たという説もあり、こちらは「拍子を打つ」、歌い手と聞き手とが心を「打ち合わせる」という説もあります。
原始の彼らがモールス信号よろしく伝える手段としてフレーズを用いたと仮定する音楽の始まりは、現代、合唱をたしなむ我々の手段に受け継がれているわけで、
連絡する=伝える(伝承)
宗教的なもの、世俗的な物語を伝える手段、
から、
近代においては、過去の事件や過ちを振り返るための、繰り返してはならない事情(戦争の悲惨さ、悲しい事件を繰り返さないためのもの)
連絡する=訴える
という表現のカタチも現れてくるわけです。
日本の合唱の成り立ちの中では、近年、歌詞の中に「愛」、「青春」、「自由」、などという、見えないものを求める空虚な傾向が現れていますが、それはまた後日述べることにします。
そんなわけで、声を使った音楽の根本は「伝える」または「訴える」ことにあり、そのための手段として、客席のハートに「詩」を染み込ませることにあると思います。
ひとつひとつの言葉が、客席の隅々にジワリと重い霧雨のように水分が染み込んでゆく様、客席にある人々の心にひとつひとつの言葉が染み込んでゆくのが合唱で「歌うこと」の理想です。
神をあがめる宗教感とは別に、偉大な詩人たちが編んだ言葉の糸を音楽に乗せてジワリする。
客席の人に染み込んだ言葉が、
聞き手の脳の中で電流が走り、さらに感じたコトバが噛み砕かれて脳内でさまざまな色になる。さまざまな感じ方が生まれる。
「歌うこと」というものは「言葉の提案」なのです。
ひとつひとつの「言葉」を客席の人に染み込ませる。空間を支配する。そんなことができたら素敵だなと思います。
武満徹の「うたうだけ」
『むずかしいことばは いらないの
かなしいときには うたうだけ』
楽しい時も悲しい時も、我々は今日も歌うのです。
今年もよろしくお願いします。
