指揮者のうたた寝(歌タネ)第一回『ご挨拶』

初めまして!オペラ歌手の鈴木至門です。
春からお誘いをいただきまして長岡市民合唱団の指揮をしております。
これまで数多くの合唱指揮、指導をして来ました。大学では声楽を学び、教育課程の授業の中で簡単な指揮法は習いましたが専門的な指揮法を取得したわけではありません。今日まで携わって来た多くのコンサートや稽古場での指揮者の見様見真似、指揮者というには憚れられる身分ではありますがほかに良い言葉が見つからないので便宜上「指揮者」の名を借りることもあります。私の立場としては長年オペラに携わり、「声」に関してはいまだに道半ば、修行の身ではありつつも、オペラ歌手としての引き出しは持っているつもりですので、「指揮者」というカテゴリーよりは、歌全般に関する「アドヴァイザー」という立場、言葉が適当と考えて、自分ではアドヴァイザーというつもりで常に合唱の指導をしています。団員とは師弟関係はありませんので、「先生」と言う呼ばれ方も違和感があり、ともに音楽を作っていく仲間だと考えていただき、至門さん、至門ちゃん、なんなら呼び捨てでもかまいません。「指導」という言葉にも違和感を持っていて、指導という言葉はなるべく使いたくないのですが、スナックで客を「社長」と呼ぶと同じような感覚で、学校でも音楽を作るあらゆる場所で「指導」という言葉は便利な言葉として利用されているので、便宜上は使いますが、私の作る音楽作りは、それぞれの集まり、それぞれの音楽と関わる時間の中で、たくさん実験し、この空間の中で『一番良いものをすくいあげる作業』を大切にしています。指導=こうしなさい、こうあるべき、ではなくて(クラシック音楽の慣例的な部分では時々使います)アドヴァイス=こうしたら面白いのでは、こうしたらこの集団の価値は高まるのではという仕事をしています。楽譜は記号でしかなく、その白黒模様のスキマにはたくさんの音楽の可能性が見出せます。だからこそ、同じ曲を、別の集団が歌えばそれぞれの個性を感じることができるわけです。先ほども書きましたが、合唱団の集まりは全国的にたくさんありますが、関わる合唱団がいちばん輝ける部分を引き出し、まとめるのが私の仕事だと考えています。また、健康面でも高齢化が進む昨今、体全体を使った呼吸法、顔面全体を使う発声の筋肉運動、音楽(楽譜)と関わることでの脳の活性化など、音楽を長く続けてゆくことで豊かな人間形成を持続して行けるという部分を重要だと感じています。合唱が上手に越したことはありませんが、上手な合唱の下支えに、体の使い方、息の使い方、知的な楽曲理解、センスのある佇まいをしっかりとアドヴァイスしてゆくことが私の大切な音楽との関わりなのです。

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